疲労と疲労感は別のもの

以前書いた話の繰り返しになりますが、ご質問があったのでもう一回記事にしますね。

「疲労」というのはエネルギーの枯渇した状態です。自動車のガソリンやスマホの充電が無くなった状態を指します。当たり前の話ですけれどガソリンを入れたり充電したりすれば再び動き始めますし、そうしなければ永久に動くことはありません。

これに対して「疲労感」というのは起動できなくなっている状態を指します。自動車でいえばバッテリーが上がった状態、スマホでいえば画面にロックがかかった状態です。ここでいくらガソリンを入れたり充電したりしても、自動車やスマホが起動することはありません。

全く原因が異なるにもかかわらず、現象面だけをとらえるとどちらも「動けない」ということです。人間に話を戻せば、いくら動きたくても動けない状態です。それを表現するときに私たちは「しんどい」「疲れた」という言葉しか持ちません。

何らかの理由で背側迷走神経系が優位になった状態は「凍りつき」、「シャットダウン」、「死んだふり」であって、疲労しているわけではありません。ただ、背側迷走神経系が優位になる状況というのは生物である人間にとって、緊急事態や非常事態に相当します。めったにない状況ですから、これを言葉で表現するときに、一番近い感覚である「疲れた」という言葉になるのでしょう。

もうひとつ言えば、背側迷走神経系が優位になってシャットダウンしたそもそもの原因が、心身の文字通り「疲労」のケースもあるでしょう。疲労が積み重なってそれを脳が「絶体絶命のピンチ」と判断してその結果、疲労感に襲われたのであれば、本人はそれを「疲労が回復しない」と認識するかもしれません。

周りの人間にはそういう状況は伝わりませんから、「昼まで寝ていて、疲れたもないだろう。」と思われてしまいます。

慢性疲労症候群、コロナ後遺症並びにワクチン副反応(子宮頸がんワクチンでも意味不明の副反応が出たけれどたぶんこちらもそう)、それから不登校の原因はおそらく共通しています。治療法はエネルギーを無理に取らせることではなく、心身を「起動」させること、つまり交感神経を賦活することであると考えています。

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