瞑想がうまくできないのはなんでか

欧米ではエグゼクティブの間で瞑想が流行していると聞きます。マインドフルネスとかヨガとか名称はいろいろですけれど、基本的には全部「瞑想」ということでいいんじゃないかと思います。

瞑想のメリットとしてはリラックスすることでストレスが軽減され、自律神経のバランスが整うことです。睡眠の質が向上しますし、集中力もアップします。お仕事のパフォーマンスの向上も期待できますよね。

それからね、思考がポジティブになります。ヒーリングなんかで「運気向上」をうたうところがあります。決してオカルトではなく何か困ったことが起きても自律神経が整ってポジティブになっていると解決に向けて思考が働きやすいから、結果として問題が解決しやすいということです。

ところがね、私たちが瞑想を一人でやろうと思ってもなかなかできません。「今ここ」に集中と言われても気が付けばうつらうつらしていてあんまりかっこよくないです。

頭蓋仙骨療法を受けたときの感覚が瞑想に似ている、というご感想を日常生活で瞑想を実践しておられる方から伺うことが多いのですがそれはどうしてでしょうか。

たぶん欧米のエグゼクティブが瞑想を行って居眠りにならない理由は対峙する存在の有無なんだと思います。良くも悪くも欧米の人たちの心の中には「神」との対峙があります。瞑想は「無」になることであるならば欧米人にとっては神とか超自然に心身を委ねることとイコールでしょう。ところが私たち日本人は八百万の神様に囲まれて生活しています。日本人は対峙して心身を委ねるべき唯一の存在を意識しにくいのだと思います。日本人が座禅を組むときにお寺の本堂でご本尊様を前に行うことは決して偶然ではないのでしょう。

おそらく頭蓋仙骨療法やらその他のボディワークで瞑想に似た感覚が得られるとすれば、それは施術を行うセラピストに心身を委ねることで脳が瞑想時と同じ反応をするということなのでしょう。カルトの指導者がイニシエーションとかさまざまな行法を信者?に行うのはそのことの応用と考えることができるかもしれません。

そうして頭蓋仙骨療法がどこか怪しいイメージを持たれてしまうのはまさにそのせいなんでしょうね。逆に考えれば施術を受けることで欧米のエグゼクティブのように瞑想の様々なメリットを受けられる、ということでもあるのですけれど。

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