「椅子がこわい」、という書名が腰痛の本質を表している

脳が痛みを作る

腰痛をはじめとする「痛み」が主訴の患者さんに施術をしたあと、痛みの変化についてお尋ねします。「腰の痛みはどうですか?」と伺いながら痛かった姿勢や動きを確認してもらいます。たいていは「あ、ずいぶん楽になりました」と喜んでくださいます。「全く痛みに変化がない」のであれば、医療機関の受診を含めた対策を考えなければなりません。「まだ痛みが残っている」ケースであれば今後の経過やら自宅でのセルフケアやら次回の来院についてお話しします。まあだいたいは以上のパターンのどれかに当てはまります。

ところが中には、明らかに動きは良くなっているにもかかわらず、とんでもないアクロバティックな姿勢をとってでも「痛み」を探し出そうとする方がおられます。施術した私としては「それだけ動けたら大丈夫やん」と傍で見ていて思います。ところがそれでも執拗に痛みを誘発させる姿勢を見つけようと躍起になられるかたが、時としておられるのです。

それから、「もう痛みは再発しない」という言質を取ろうとされる方もたまにおられます。もちろん人間は地上に暮らすイキモノですからそんなことは不可能に決まっています。そんな時私は「お腹一杯ご飯を食べても、またお腹は空くでしょう?それとおんなじで日常生活を送っていたら傷めることだってありますよ。」と説明するのですがなんとなく不満そうです。

そういう患者さんを「神経質な人やな」と思っていたのですがどうもそうではないようです。私ごとなのですが、ちょっと奥歯が痛くなりました。それこそ高校生のころから時々痛むのですが、今回は冷たいものが沁みます。たとえば仕事から帰宅して缶チューハイを飲むときに、「ずきん」と痛みます。それが続くと冷たいものを飲むときに、ちょっと躊躇します。「沁みるかな?」という不安感がよぎるのです。

これがひどい腰痛なら、事態はもっと深刻でしょう。基本的に腰痛はずっと痛いのではなく、何かの拍子にひどい痛みを感じます。ちょっとかがんだ拍子に、とか寝返りを打った時にとか普通の日常生活動作がえげつない痛みを誘発するわけです。「ずっと腰が痛い」と言っても実は痛みに濃淡があるということです。痛みそのものも当然ストレスですが、日常生活で強烈な痛みが「いつ来るかいつ来るか」ということが四六時中頭から離れないのはもっとひどいストレスです。

そうしてそのようなストレスは痛みという症状にずっとついて回ります。それは痛みの程度にかかわりなく、です。そうしてそのストレスが新たな痛みを生み出す悪循環になってしまいます。夏樹静子さんが書かれた「椅子がこわい」という腰痛の闘病記は、このあたりのニュアンスを見事に表現されていると思います。

痛みを訴える患者さんを治療した時に、治療者が術前術後で痛みの変化をおたずねするのも治療の効果判定という意味合いのほかに、この悪循環を断ち切ろうとしているのだと思います。もちろん患者さんが執拗に痛みを探すような行動をとられるのも同じ心理からなのでしょう。

それは無理からぬことではあるのですが、痛みを探す行動はかえって痛みを誘発します。有名な潜在意識の実験なのですが、眼を閉じて「赤いものはどこ?」と心の中で呟いて眼を開けると、必ず「赤いもの」が目に入ります。眼を閉じている間に潜在意識が周囲にあった「赤いもの」の情報を編集して「ほら、ここにあるよ」と知らせてくれるからだそうです。そうであれば、どこかに痛みは残っていないか?というあなたの問いに、きっとあなたの潜在意識は応えて「ほら、こうするとまだ痛いよ」と教えてくれるでしょう。

いろんな動きをして「痛みの精?」を呼び出して痛みを再現させようとする方のカラダには、あっちこっちにストレスの痕跡が残っています。それを丁寧に解放していくことで悪循環を断ち切ることができます。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です