支援教育と効率と

「発達障害は治りますか?」ていう本を読んでいます。精神科医の神田橋條治先生と作業療法士さん、臨床心理士さんや当事者さんとの鼎談を本にしたものです。もっと読み込んでからでないとコメントできないくらいの情報がわかりやすく書かれているんですけど、その中にこういうくだりがあります。

特別支援教育の成果が「働ける大人にすること」なのか「二次障害のないニート」なのか、それを私は納税者として教育界に問いたいです。「とにかく真綿にくるんで傷つかないけれども社会でやっていけない人間」に育てるのが目的なのか、「ある程度苦手も乗り越えて社会で通じる人間」に育てるつもりがあるのか、それを一般社会人として教育界に問いたいです。鼎談の司会進行をしている浅見淳子さんの発言です。

すげえ。

言ってみれば教育界とか医療とかにドスを突き付けているわけですよ。別のところで浅見さんは両者が二律背反するものではないとも言っておられますし実際のところケースバイケースとしか言いようがないとは思います。

ただ、例えば大阪の教育行政なんかを見ているとよくわかるんですけど教育にも「効率」が重視される傾向になってきています。言葉を選ばなければ「均質化」と「排除」ですかね。一定の規格から外れたものは余分に手間をかけて育てるよりも「居心地の良い」場所に隔離してしまう。そのほうが社会にとっても教育資源の活用という点からも効率的だから。

明らかにそういう流れになってきています。

でもね、少なくとも学習の問題だけに限ればカラダの緊張を緩めてあげれば改善が可能です。(ほとんど暴力的に勉強させても改善はしますけど)

学力だけ確保できれば、言い換えれば一定の学歴があればだいたい発達に凸凹のある人たちはものすごく得意な分野があってそちらの世界で開花することが多いです。医療とか受験産業とか専門職とでもいうべき世界に入ってみると「少し変わった人」はけっこうたくさんいて私も含めてみんなそれなりに幸せに生きています。

発達の相談の場で紋切り型に使われがちな言葉、「その子の個性にあった将来」を手に入れるにはそれが一番の近道だと思いますし、たぶん私はそのお手伝いができると思います。

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